古典「中庸」を学ぶ

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第2章から第20章は子思が孔子の言葉を引用しながら、行った第1章の意味の説明。とりわけ、2章から11章までのすべて孔子の言葉の引用

第2章 君子は時中す。

〇仲尼曰、君子中庸。小人反中庸。君子之中庸也、君子而時中。小人之反中庸也、小人而無忌憚也。

仲尼(ちゅうじ)曰く、「君子は中庸す。小人は中庸に反す。君子の中庸や、君子にして時中す。小人の中庸に反するや、小人にして忌憚無きなり。」と。

訳文  仲尼【孔子の字】はおっしゃった。「君子は中庸を身につけており、小人は中庸に反する。君子が中庸であるのは、徳のある立派な君子である上に、その時々の状況に応じて的を射た対応ができるからである。小人が中庸に反するのは、小人である上に物事に勝手気ままを行って、何ら忌み憚ることがないからである。 

第3章 民能くすること鮮(すくな)きこと久し

〇子曰、中庸其至矣乎。民鮮能久矣。

子曰く、「中庸は其れ至れるかな。民能くすること鮮(すくな)きこと久し」と。

訳文  孔子はおっしゃった、「中庸の徳はまことにこの上ないものだなあ。民衆でこれを実践できるものが少なくなって久しい」と。

第4章・5章 道の行われざる

〇子曰、道之不行也、我知之矣。知者過之、愚者不及也。道之不明也、我知之矣。賢者過之、不肖者不及也。人莫不飲食也。鮮能知味也。

〇子曰、道其不行矣夫。

子曰く、「道の行われざるや、我之を知れり。知者は之に過ぎ、愚者は及ばざるなり。道の明らかならざるや、我之を知れり。賢者は之に過ぎ、不肖者は及ばざるなり。人 飲食せざるは莫(な)きなり。能く味を知ること鮮(すくな)きなり。」と。

子曰く、「道は其れおこなわれざるかな」と。

訳文 先生はおっしゃった、「中庸の道が実践されないことについては、私はその理由を知っている。知者は知ることに過剰で実践を軽んじ、愚者は知ることに不足があるために実践の意義がわからないからである。中庸の道がはっきり認識されないことについては、私はその理由を知っている。賢者は実践に過剰で認識を軽んじ、不肖者は、実践に不足があるために認識する方法も求めないからである。どんなひとでも飲食しないものはない。しかしその味わいを本当にわかるものは少ない」と。中庸の道も飲食のごとく日常の行為であるが、身近すぎて、過不足を吟味する者が少ないのである。

先生がおっしゃった、「中庸の道はほんとうに実践されないのだなあ」と。

第6章 知者・舜の中庸

〇子曰、舜其大知也与。舜好問而好察邇言、隠悪而揚善、執其両端、用其中於民。其斯以為舜乎。

子曰く、「舜は其れ大知なるか。舜は問うことを好んで邇言を察することを好み、悪を隠して善を揚げ、其の両端を執りて、其の中を民に用う。其れ斯れ以て舜たるか」と。

訳文  先生がおっしゃった、「舜(伝説上の王)は実に偉大な知者だなあ。舜は人に問うことを好んで、そして身近なありふれた言葉をよく調べることを好み、悪いことは隠して、善いことは揚げ示し、異なる意見にもその端から端までを把握してよく調べ、その中を民衆に用いた。こうだからこそ、舜なのだなあ」と。

第7章 罠だと気づきもせず

〇子曰、「人皆曰『予知』、駆而納諸罟獲惂阱之中、而莫之知辟也。人皆曰『予知』、擇乎中庸而不能期月守也。」

子曰く、人皆「与(われ)知あり」という。駆(か)って諸(これ)罟獲惂阱の中に納(い)れて而(しか)して之を辟(さけ)ぶを知る莫(な)きなり。人皆「与(われ)知あり」という。中庸を擇(えら)びて、期月(きげつ)も守る能(あた)わざるなり。

訳文  先生はおっしゃった、「人々はみな、『自分には知恵がある』という。しかし、いざ網や罠、落とし穴の中に追い込まれてみても、それが罠だと気づいて避けることができない。人は皆、『自分には知恵がある』という。中庸を選び取ったつもりでいながら、ひと月(わずか1カ月)さえも守り続けることができない。

■罟獲惂阱___鳥獣を捕らえる網と罠、落とし穴

■期月___約1か月

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